私にとってPCゲームとは

WIZ8 on MACの記事は途中ですが、多分、10中8,9は僕の自慰であり、あのような記事を読まされても普通の人(intel MacでWIZ8を動かそうなんて考える人間ではない、もしくはその必要さえ無い)には便益はありません。ですから別の記事を途中に挟みます。

多分、あまり理解してくれる人は少ないと思うんですが、私にとって、PCゲームとはinstallや起動や設定の多様さと複雑さと難解さもまた魅力の一つだったんじゃないか、と思うのです。

  • 今の、DirectX(MS限定ですが)やOPEN GLが動いているような現代的なOSじゃなかった。
  • 個別のハードウェアで個別のOSが動いていていろいろと設定だのなんだのが難しかったりした。
  • メモリを空けたり、より音が美しくなるサウンドMIDIのドライバを入れなきゃいけなかった。

そういう苦労もあったから、無事ゲームが動いたり、config.sysを書き換えて音が美しくなった時は感動ものでした。

・・・・今の人、そんな苦労しないよねえ。つーか、パソコンでゲームをする == 国産エロゲーマー(テキストアドベンチャー萌えゲーム)扱いですものね。最近の物は、流行するのはテキストアドベンチャーでさえない(選択肢選んでムービーが再生されるだけ)らしいですが。Aliceソフトみたいな、エロですがちゃんとゲームとして体裁を整えたものを作っている会社には頑張ってほしいです。

ま、現代的なPCゲームでもMODやら、PCゲームならではの楽しみ方ができる(internetのない昔では考えられない)には、ある程度のコンピュータの知識が必要なわけですが。あと、QuakeDOOMなどのLinux版を試してみたり、技術力のある人はソースを解析してゲーム機に自分で移植してみたり、そういうのは「パソコン」ならではですね。

若い人に「俺は苦労したのに、お前ら苦労してないなんて!! お前らも設定で苦しめ!!」みたいなジジイのいまどきの若者論的な説教は大いにしたい嫌われるので、やめておくとして(ああいう設定の苦労は意味のある苦労だったのだろうか。否。意味無し。)

アセンブラのプログラミングとか、もっと創造的で建設的な方向の努力の時間を増やすべきでしたね。ああいう時間に。高級言語のお勉強は今でも出来ますが、アセンブラの勉強は、昔のような時代でないと教材があってもモチベーションが高まりません。